*まず、この度の台風で被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。
事前に情報収集し、安全な道を選んだ方々のご判断にも敬服致します。
船橋合氣道道友会が10/12‐14に合宿する予定だった佐久も被害を受けたと伺いました。
一日も早い心身、そして物理面の復興を祈っています。また、自分でもできる援助を致します*
【はじめに】
10月13、14日と、いつも稽古している船橋武道センターで、清水先生のご指導の下、代替稽古が行われました。14日に参加しましたのでご報告します。様子が少しでも伝わりますように。
【合宿】
船橋の稽古に参加する時は、いつも新鮮な気持ちです。今日は何を学べるかなと楽しみに、道場への道を歩きます。それが今回は合宿。さらにたまたま、自身の退職と次職開始の間にあり、何か記念碑的なものを、という心持ちでした。すると、台風のため代替稽古に変更、という始まりでした。
稽古では、少し前からですが、以前とは全く異なった心持ちになっています。一人の指導者の影響です。そのような変化の時期が、合気道をしているとあるのかもしれません。変態…もとい変体の時期が。その状態で臨むと、組む方、やること、先生までもがこれまでとちょっと違って見えてきます。清水先生の稽古はいつも、終わってみるとストーリーが見つかったり見つからなかったり。言葉というより体に残る稽古です。というわけで、報告書を書くと言いながら、言葉にできません。先生の稽古に度重ねて参加すればするほど、体に清みこむものがあると信じています。合気道のことも、はっはっはっと人生を噴き飛ばしてしまうような何かも。
私の袴は5年の合気道歴のうち4年間使っていて、結構稽古して膝行も沢山やったのですが、質が良いのか(新選組の故郷、武州産の藍染)これまでほつれたり破れたりがなかったのが、最近裾がインディアンのフリンジのようになってきました。これも腰が一歩据わった変化の証だと思うことにしています。
【心残りの蕎麦】
合宿の2日目にはレクリエーションが行われる慣例で、今年は蕎麦打ちの予定だったそう。なぜ蕎麦打ち?「どこかに合気道と関係があるに違いない」と推理をフル回転する私。うどんは粉から作ったことがあるけれど、蕎麦はない。結局、ある幹事さんのこだわりが深く関与していた可能性が高い。きくと、蕎麦打ちは水を入れて最初の数秒の動きが勝負なのだそう。この機(気)を一瞬に捉えるのが、合気道でいう呼吸法のようなものでしょうか。今は今しかなく同じ時は二度と来ない、という体感もできそうです(湿度・温度・水などの諸要因により、毎回状況が違うと耳にしたことがあるので。何度か体験すればの話)。そして振り入れた水の流れを見て万物を学べるのかもしれません。
こうした学びの機会を次回のお楽しみとして、我々は「そじ坊」という信州蕎麦屋で、打たずして蕎麦を食すというレクリエーションをしたのでした。
【清水先生と】
緊急事態。緊急事態。信州蕎麦屋の注文端末に異状あり。しかも私の発注後。「Sの番だったからだ」と先生断定。臆せず「先生が急かしたからです」と応酬。
私の母が魔女の能力を持つ話(詳細はSまで)をしたら、「だからお前はこうなったのか」。ナヌっとちょっと思ったが、「お前のせいじゃないってことだ」とフォローしてくれました。しかしこれ、フォローだったんだろうか。後になって思った私。まだまだです。
何か爪痕を残したい。ハロウィンの仮装で魔女の宅急便のキキ(知らない方はググって(Googleで調べて)下さい)になった話をしたら、「皆さんは仮装する必要はありませんよ」と先生。「先生もですよ」と私。これで少しは残せたでしょうか、傷痕。
【奥様と】
「先生に『また来たのか』などと言われるのにももう慣れました」と言ったら「慣れないで」と仰る。奥様の人柄を感じました。初めてお会いできたのは収穫でした(失礼かもしれませんが、秋の実りのような豊かな方でした)。
【皆さんと】
千葉は方言が荒々しく、特に船橋や市川は喧嘩かと勘違いする程だとは後になって知ったこと。清水先生の
「また来たのか」「ついにここまで進出したか」を褒め言葉と勘違いして、これまで頻繁に出没していた外部団体の私(熊のような出没からも判る通り、北海道出身)。しかし、ひと捻りされていてほどかないと解らない温かさは、清水先生以外の方々からはいまだ感じず、皆さん真っ直ぐに親切です。ついに合宿まで進出しました。
「どうして(代替稽古のことを)知っているんだ」と言われましたが先輩方と清水先生よ、諜報機関には然るべき情報網があるのです。そしてスパイこそ普通の人に見えるもの。「こんな図書係みたいな人が合気道できるの?」と言われる私のような大人しい人に限って妖しいものです。この注意喚起をもちまして今回の報告と致します。来年は無事行われますように。
―完―